2018年03月12日

そのうちみんな怒りまっせ

映画 東日本大震災7年
政府追悼式 秋篠宮さまのお言葉/安倍晋三首相の式辞/遺族代表の言葉


メモ  ◆秋篠宮さまのお言葉 全文

 2011年3月11日、東北地方を中心に東日本を襲った未曽有の地震とそれに伴う津波により、2万人を超える死者および行方不明者が生じました。震災発生後、刻々と伝えられる現地の状況と押し寄せてくる津波の映像は、7年を経た今でも決して脳裏から離れるものではありません。ここに一同と共に、震災によって亡くなった人々とその遺族に対し、深く哀悼の意を表します。

 大震災からの7年間、被災地において、人々は幾多の困難を乗り越え、手を携えて、復興に向けての努力をたゆみなく続けてきました。こうした努力を支援するため、国や全国の自治体、そして国内外の多くの人々が、さまざまな形で力を尽くしてきました。

 その結果、住宅の再建や高台移転、産業の回復、生活環境の整備、防災施設の整備など多くの進展が見られました。また、原発事故により避難を余儀なくされた地域においても、帰還して生活を再開できる地域が少しずつ広がってきております。多くの悲しみや困難の中にあった子どもたちも、未来に向けてたくましく成長しています。

 しかし、その一方では、今なお多くの被災者が、被災地で、また、避難先で、依然として不自由な生活を続けている厳しい現実があります。とりわけ、帰宅可能な地域が広がる中、いまだに自らの家に帰還する見通しが立っていない人々も多いこと、基準に照らして放射線量の問題がない場合であっても、農林水産業などに影響が残っていることを思うと、心が痛みます。さらに、避難生活が長期化する中で、高齢者をはじめとする被災者の心身の健康のことは、深く心に掛かります。

 困難な状況にいる人々、一人一人が取り残されることなく、健やかで平穏な生活を送ることができるよう、また復興の歩みが着実に進展していくよう、これからも国民が心を一つにして被災した地域や人々に末永く寄り添っていくことが大切でありましょう。

 東日本大震災の大きな犠牲の下で、私どもは日ごろの防災訓練や防災教育、そして過去の災害の記録と記憶の継承がいかに大切であるかを学びました。この教訓を決して忘れることなく、私たち皆が防災、減災の心を培うとともに、それを次の世代に引き継ぎ、災害の危険から多くの人々が守られることを心より願っております。

 今なお困難を背負いながらも、復興に向けて日々努力を続けている人々に思いを寄せ、一日も早く安らかな日々が戻ることを皆で祈念し、御霊(みたま)への追悼の言葉といたします。
    



うむ。


天皇皇后両陛下ではなく

   まだご退位してないよね・・・?

皇太子皇太子妃両殿下でもなく

   まだ静養されてないよね・・・w


秋篠宮両殿下のご臨席だったのか。 




映画 両陛下 発生時刻に黙とう、政府主催の追悼式には秋篠宮ご夫妻

メモ 天皇、皇后両陛下は、陛下の定例健康診断のためにそろって訪れていた宮内庁病院で、発生時刻に合わせて黙とうされた。宮内庁侍従職が明らかにした。

 両陛下は発生5年の節目だった2016年まで、政府主催の追悼式に毎年出席していたが、昨年からは、秋篠宮ご夫妻が足を運び「お言葉」を述べている。

 発生10年の節目となる21年には、新天皇、皇后となっている皇太子ご夫妻の出席が検討されることになるという。
    


はぁ。



>両陛下は発生5年の節目だった2016年まで、政府主催の追悼式に毎年出席していたが、昨年からは、秋篠宮ご夫妻が足を運び「お言葉」を述べている。


ふむ。


>発生10年の節目となる21年には、新天皇、皇后となっている皇太子ご夫妻の出席が検討されることになるという。


はぁ。

あとは全て秋篠宮殿下・妃殿下におまかせなのかな。


     もう、摂政みたいな〜  



それにしても、記事タイトル、おかしくね?

・・・記事見出しに『両陛下 発生時刻に黙とう』必要すか?


せめて、

政府主催の追悼式に秋篠宮ご夫妻ご臨席、両陛下は発生時刻に黙とう

じゃねーの? 


もはや、ご公務は秋篠宮様抜きではかなわないのだから、

マスメディア、おまいらはね、

   ちったー、気をつかえよ! 



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映画 東日本大震災7年
政府追悼式 秋篠宮さまのお言葉/安倍晋三首相の式辞/遺族代表の言葉

 ◆秋篠宮さまのお言葉 全文

 2011年3月11日、東北地方を中心に東日本を襲った未曽有の地震とそれに伴う津波により、2万人を超える死者および行方不明者が生じました。震災発生後、刻々と伝えられる現地の状況と押し寄せてくる津波の映像は、7年を経た今でも決して脳裏から離れるものではありません。ここに一同と共に、震災によって亡くなった人々とその遺族に対し、深く哀悼の意を表します。

 大震災からの7年間、被災地において、人々は幾多の困難を乗り越え、手を携えて、復興に向けての努力をたゆみなく続けてきました。こうした努力を支援するため、国や全国の自治体、そして国内外の多くの人々が、さまざまな形で力を尽くしてきました。

 その結果、住宅の再建や高台移転、産業の回復、生活環境の整備、防災施設の整備など多くの進展が見られました。また、原発事故により避難を余儀なくされた地域においても、帰還して生活を再開できる地域が少しずつ広がってきております。多くの悲しみや困難の中にあった子どもたちも、未来に向けてたくましく成長しています。

 しかし、その一方では、今なお多くの被災者が、被災地で、また、避難先で、依然として不自由な生活を続けている厳しい現実があります。とりわけ、帰宅可能な地域が広がる中、いまだに自らの家に帰還する見通しが立っていない人々も多いこと、基準に照らして放射線量の問題がない場合であっても、農林水産業などに影響が残っていることを思うと、心が痛みます。さらに、避難生活が長期化する中で、高齢者をはじめとする被災者の心身の健康のことは、深く心に掛かります。

 困難な状況にいる人々、一人一人が取り残されることなく、健やかで平穏な生活を送ることができるよう、また復興の歩みが着実に進展していくよう、これからも国民が心を一つにして被災した地域や人々に末永く寄り添っていくことが大切でありましょう。

 東日本大震災の大きな犠牲の下で、私どもは日ごろの防災訓練や防災教育、そして過去の災害の記録と記憶の継承がいかに大切であるかを学びました。この教訓を決して忘れることなく、私たち皆が防災、減災の心を培うとともに、それを次の世代に引き継ぎ、災害の危険から多くの人々が守られることを心より願っております。

 今なお困難を背負いながらも、復興に向けて日々努力を続けている人々に思いを寄せ、一日も早く安らかな日々が戻ることを皆で祈念し、御霊(みたま)への追悼の言葉といたします。

 ◆安倍晋三首相の式辞 全文

 本日ここに、秋篠宮同妃両殿下のご臨席を仰ぎ、「東日本大震災7周年追悼式」を挙行するに当たり、政府を代表して、謹んで追悼の言葉を申し上げます。

 かけがえのない多くの命が失われ、東北地方を中心に未曽有の被害をもたらした東日本大震災の発生から、7年の歳月が流れました。

 最愛のご家族やご親族、ご友人を失われた方々のお気持ちを思うと、今なお哀惜の念に堪えません。ここに改めて、衷心より哀悼の誠をささげます。また、被災された全ての方々に、心からお見舞いを申し上げます。

 7年の歳月が流れ、被災地では復興が一歩ずつ着実に進展しております。地震・津波被災地域では、生活に密着したインフラの復旧はほぼ終了し、住まいの再建も今春までに9割が完成する見通しであります。

 原発事故によって大きな被害を受けた福島の被災地域では、避難指示が順次解除され、また、帰還困難区域においても特定復興再生拠点の整備が動きだしました。

 しかしながら、今なお7万人を超える方々が避難され、7年間にも及ぶ長期にわたって不自由な生活を送られている方もいらっしゃいます。ふるさとに戻る見通しが立っていない方々も数多くおられます。

 被災者お一人お一人が置かれた状況に寄り添いながら、今後とも、避難生活の長期化に伴う心の復興や心身のケア、生活再建のための相談に加え、新しいコミュニティー形成の取り組みなど、生活再建のステージに応じた切れ目のない支援に力を注ぐとともに、原子力災害被災地域における帰還に向けた生活環境の整備、産業・なりわいの再生支援など、復興を加速してまいります。

 同時に、震災による大きな犠牲の下に得られた貴重な教訓を、胸に刻みながら、英知を結集して、防災対策を不断に見直してまいります。政府一丸となって、災害に強い、強靱(きょうじん)な国づくりを進めていくことを、改めて、ここに固くお誓いいたします。

 震災の発生以来、地元の方々のご努力をはじめ関係する全ての方々の大変なご尽力、全国各地からのご支援に支えられながら、復興が進んでまいりました。本日ここにご列席の、世界各国・各地域の皆さまからも、多くの、温かく心強いご支援をいただいています。心より感謝と敬意を表したいと存じます。

 災害との戦いは、世界共通の課題です。東日本大震災の教訓とわが国が有する防災の知見や技術を皆さまの国・地域の災害被害の軽減に役立てていくこともまた、われわれの責務です。今後とも、防災分野における国際貢献を、一層強力に進めてまいります。

 わが国は、幾度となく、国難と言えるような災害に見舞われてきましたが、その度に、勇気と希望をもって乗り越えてまいりました。今を生きる私たちも、先人たちに倣い、手を携えて、前を向いて歩んでまいります。

 御霊(みたま)の永遠に安らかならんことを改めてお祈り申し上げるとともに、ご遺族の皆さまのご平安を心から祈念し、私の式辞といたします。

 ◆遺族代表の言葉 全文

母の笑顔、今も脳裏に 岩手県代表・磯崎一元さん(73)

 あの日、平成23年3月11日午後2時46分に地震が発生し、釜石で1人暮らしていた90歳の母親を亡くしました。

 当時、東京で暮らしていた私は、仕事中で、かなりの揺れを感じました。震源が三陸沖と知り、母に連絡を取ろうとしましたが、連絡が取れません。すぐに安否確認に向かいたかったのですが、交通まひ状態が続き、釜石に到着したのは、それから1週間後のことでした。

 避難場所を回り捜しましたが見つかりません。自宅はがれきの山で、足がすくむほどでした。ここにはいないと思いましたが、つい「おふくろ、おふくろ」と叫んでしまいました。

 翌週、弟妹たちと自宅付近を捜索しましたが、見つかりません。自衛隊にご協力いただき、自宅を捜索していた時に災害本部より連絡があり、近くの安置所で、顔右側にかすり傷、その他は無傷状態で今にも起きそうな顔色の母に対面しました。3月28日午前11時20分でした。愛用の腕時計を遺品として受け取りました。

 震災の前の年に釜石で父親の十三回忌を行い、子ども、孫、ひ孫総勢25人で母90歳の卒寿をお祝いしました。その時の母のうれしそうな笑顔が脳裏に焼き付いています。

 震災の年、8月のお盆を目安に私と女房と2人が釜石に戻り3人一緒に生活する計画をしていましたが、かないませんでした。

 毎年3月の釜石市主催の追悼式と8月のお盆には帰っていましたが、今年、お墓を改葬しました。今後は近くで両親を見守っていこうと思っています。3月11日の午後2時46分のことは決して忘れないようにして。

 最後に、さまざまなご支援をいただいた方々に感謝申し上げますとともに、東日本大震災で犠牲になられた方々のご冥福をお祈りし、遺族代表の言葉とさせていただきます。


 岩手県釜石市出身の磯崎一元さん=東京都葛飾区=は、母咲子さんを津波で亡くした。政府主催の追悼式には、背広の胸ポケットに笑顔の母の写真をしのばせて臨み「あの日を決して忘れない」と力を込めた。

 震災発生時、磯崎さんは、東京で清掃の仕事中だった。母は笑顔の似合う人だった。子どもたちの誕生日にはチラシの裏に書いた手紙を欠かさず届け、卒寿の祝いには子どもや孫、ひ孫25人が集まった。

 前日は咲子さんと父の結婚記念日。いつものように、お祝いの電話をかけた。「最近そっちで地震が多いから気を付けて」。「大丈夫、大丈夫。心配し過ぎだよ」。それが、最後の会話になった。「親孝行ができなかった」と磯崎さん。今も毎朝仏壇に手を合わせる度に涙がにじむ。


生かされる幸せ実感 宮城県代表・小野寺秀俊さん(69)

 あの日、私は仙台で用事があるために、午後、妻と車で出かけました。「行ってきます」「行ってらっしゃい。気をつけてね」。それが最後の言葉になるとは、思いもしませんでした。父は翌日、自宅のがれきの下で見つかり、母は4月に不明者の中から、娘が見つけてくれました。

 震災の後、両親の故郷に近い、みなし仮設に移りましたが、そこで、両親に縁のあった方々に、助けられてさまざまな支援をしていただきました。そんな時、おやじの子どもで良かったと、何度も涙しました。現在は縁あって松島町に住んでいますが、毎朝庭先にスズメの親子がきてだんらんのおしゃべりをしています。そのほほ笑ましい光景を見ながら東を望むと、野蒜(のびる)のことが思い出されます。

 朝ご飯の時、みんなで「いただきます」「ごちそうさまでした」と手を合わせた、何でもない普通のことが、本当に幸せで大事なことだと、震災後いつも感じます。震災後に結婚した娘に、両親の生まれ変わりのように女の子と男の子が生まれました。その孫が来ると、決まって両親にお参りします。まだ小さいので、震災のことは理解できません。時期が来たら話して伝えていきたいと思います。

 震災は私の人生で、とてつもない試練でしたが、元気で頑張ることがお返しと思い、地域で、小さいながらも自分でやれることを始めました。町内会の役員、観光ボランティアガイド、地域イベント活動、シニア・初心者の方を対象に、災害時にも役に立つ、スマホの講座もしています。

 昨年までは海を見ると、心が落ち着きませんでしたが、今年の元旦には、震災後初めて野蒜海岸に行き、波打ち際で初日の出を見ることができて、輝く太陽と波の音が気持ちを新たにしてくれました。

 いろいろな方々のおかげで今の私があり生かされています。ありがとうの言葉を胸に、宮城の自然と共存しながら、地域の皆さまと共に支え合い一日一日を大事に前へ進みます。

 結びに、亡くなられた方のご冥福を心からお祈りし追悼の言葉といたします。


 津波で両親を失った宮城県松島町の自営業、小野寺秀俊さんは、震災を機に地域活動に携わるようになった。「地域の皆さまと共に支え合い一日一日を大事に前へ進みます」

 東松島市野蒜にあった当時の自宅に両親を残し、妻恵子さん(64)と仙台市にいたとき、震災が起きた。翌日、やっとの思いで帰宅。被災した自宅1階のがれきの中から見慣れた黄色い手袋が見え、のぞき込むと父研耕さん(当時84歳)の顔があった。遺体安置所を幾つも回り、母貞子さん(同82歳)に会えたのは2011年4月1日。前日夜、夢に現れ「今日は見つかるのでは」と期待していた。

 元々人前で話すのが苦手で、地域活動に参加することはあまりなかったが、震災後はボランティアや町内会にも関わるように。何かをしていないと、あの日に戻されるような思いもあった。


教訓、後世に伝えたい 福島県代表・五十嵐ひで子さん(70)

 あれから7年の月日がたちました。

 もう7年なのか、いやまだ7年なのか、心の中で、いくら考えても導かれる答えが出てきません。そうだよね。想像などできない、あの絶望のふちに立たされた悲しみ、いたみ、そして傷つき、ただぼうぜんとしていましたから。

 震災当時、私たち家族は相馬市の海沿いで民宿を営んでいました。

 あの日、大きな地震とともに、電気が切れ、全ての情報が途切れました。

 消防団の方から「今、岩手・宮城にすごい津波が来ているから早く逃げてください」と言われましたが、何回も海を見に行き、すぐには逃げませんでした。

 消防団の方に促され、私は夫と叔父の3人で避難を始めた直後、大きな津波に襲われました。波に体を4メートルくらい持ち上げられ、隣の家の松の木につかまりましたが、波はどんどん押し寄せ、一緒にいた叔父が私の手から離れていき、夫も私から離れていきました。夫は「ひで子ー」「ひで子ー」「ひで子ー」と3度叫び、それに応えて、私も夫の名前を叫びましたが、返事はありませんでした。壁のように高く、真っ黒な波が私をのみ込んで、そのまま800メートルくらい流され、気付いた時にはがれきの中でした。「助かったー」。でも寒さで、身も心も凍るほどでした。意識が遠くなりそうな時、消防団の皆さんに助けられて、気付けば病院のベッドの上でした。

 あの時「父ちゃん、早く逃げっぺ」の言葉さえ言えていたらと思うと、自分を責める気持ちでいっぱいでした。

 そんな思いが消えないまま1年がたったころ、「貴重な教訓として語り継いで」と誘われ、現在、語り部として活動しています。この震災を風化させず後世に伝えるため、「自分の命は、自分で守る」「逃げる意識」を伝え続けていきたいと思います。

 最後に、本当に7年なのですね。全国の皆さんからいまだ勇気をもらい、励まされ、一歩ずつ前に進んでいます。この震災で学んだことは、忘れてはいけません。亡くなられた方々の安息をひたすら祈念し、追悼の言葉といたします。


 福島県相馬市で民宿を経営していた五十嵐ひで子さんは、津波で夫の利雄さん(当時67歳)を亡くした。民宿は海水浴場の目の前にあり太平洋を見渡すことができた。海の幸が自慢で年中にぎわった。

 震災当日、ごう音と共に激しい揺れが襲った。利雄さんは「逃げろ、ここは俺が守る」と避難を促したが、ひで子さんも残り、割れた皿を片付けていた。避難しようとすると、もう津波が迫っていた。あっという間に体が浮き上がり、何とか隣家の松の木につかまったが、真っ黒な波がどんどん押し寄せ、利雄さんは流された。あの時、名前を呼んでくれたのは「おまえだけでも助かれ。人の役に立て」と言いたかったのだと思う。夫の思いと共に、これからも伝えていく。


映画 両陛下 発生時刻に黙とう、政府主催の追悼式には秋篠宮ご夫妻
 天皇、皇后両陛下は、陛下の定例健康診断のためにそろって訪れていた宮内庁病院で、発生時刻に合わせて黙とうされた。宮内庁侍従職が明らかにした。

両陛下は発生5年の節目だった2016年まで、政府主催の追悼式に毎年出席していたが、昨年からは、秋篠宮ご夫妻が足を運び「お言葉」を述べている。

 発生10年の節目となる21年には、新天皇、皇后となっている皇太子ご夫妻の出席が検討されることになるという。

posted by 金魚 at 22:59| Comment(6) | ジョウイでござる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月11日

記事カテゴリに空港が二つもあるのは異常かなw

映画 愛称は「岡山桃太郎空港」 岡山空港30周年記念式典で発表

メモ 岡山空港(岡山市北区日応寺)の開港30周年記念式典が10日、同空港で開催され、記念事業の一つとして

一般公募していた愛称を「岡山桃太郎空港」と発表した。

 式典には、県や航空会社などから関係者約50人が出席。はじめに、伊原木隆太知事が「スタート時と比べ滑走路が2千メートルから3千メートルに延長され、定期便は当初の3路線が国際便も含めて7路線になり、年間利用者も30万人から140万人以上へと増えた。地方の管理では本当に素晴らしい空港に成長した」などと30年間の歩みを振り返った。

 続いて、テープカットによって愛称名を入れた横断幕を披露。愛称名は国内外から約7200件の応募があったが、選定委員長を務めた「空路利用を促進する会」の岡崎彬会長(岡山商工会議所会頭)は、「岡山の象徴としてやはり桃太郎への支持が高かったのと、すべて漢字表記としたのは漢字圏の外国人利用者が多いので、なじみやすいと思った」などと説明した。




はー。


>一般公募していた愛称を「岡山桃太郎空港」と発表した。



愛称だったら、『岡山』いらんでしょ・・・


どうしてどこも愛称が長くなっちまうのよw

  静岡空港

  佐賀空港

クリックすると過去記事にいきまーす。クリック詐欺はないと思いまぁす。



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映画 愛称は「岡山桃太郎空港」 岡山空港30周年記念式典で発表
岡山空港(岡山市北区日応寺)の開港30周年記念式典が10日、同空港で開催され、記念事業の一つとして

一般公募していた愛称を「岡山桃太郎空港」と発表した。

 式典には、県や航空会社などから関係者約50人が出席。はじめに、伊原木隆太知事が「スタート時と比べ滑走路が2千メートルから3千メートルに延長され、定期便は当初の3路線が国際便も含めて7路線になり、年間利用者も30万人から140万人以上へと増えた。地方の管理では本当に素晴らしい空港に成長した」などと30年間の歩みを振り返った。

 続いて、テープカットによって愛称名を入れた横断幕を披露。愛称名は国内外から約7200件の応募があったが、選定委員長を務めた「空路利用を促進する会」の岡崎彬会長(岡山商工会議所会頭)は、「岡山の象徴としてやはり桃太郎への支持が高かったのと、すべて漢字表記としたのは漢字圏の外国人利用者が多いので、なじみやすいと思った」などと説明した。

 30周年記念を機に、この日からターミナルビル3階の送迎デッキも無料開放。正午過ぎには到着した国内線2便を空港消防車による放水のアーチで歓迎する演出もあった。

 岡山空港は、小規模だった旧岡山空港(現岡南飛行場=同市南区浦安南町)に代わって計画され、昭和63年3月11日に開港。増大する航空貨物需要に応じ、平成10年には新航空貨物ターミナルも開業した。定期便は現在、国内が東京、沖縄、札幌、海外がソウル、上海、香港、台北の間で就航。先月末現在の累計利用者数は3253万343人(速報値)。
posted by 金魚 at 21:46| Comment(2) | 地方空港 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月09日

たイセつなもの

映画 伊勢神宮近く「イスラム礼拝スペース設置」撤回 市民から疑問の声、ネットでも炎上し断念…三重・伊勢市

メモ  三重県伊勢市は、市内観光に訪れるムスリム(イスラム教徒)のために伊勢神宮内宮近くの宇治浦田観光案内所に礼拝スペースを設ける計画を撤回した。同市内の公共施設では初めての取り組みだったが、市民らから必要性を疑問視する声や批判などが多数寄せられ、ネット上でも“炎上”したため断念した。

 市は、平成30、31年度に実施する同案内所の改修に合わせて、多目的室にイスラム教の礼拝スペースを確保することを計画。他の観光地の例などを参考に設計する方針だった。

 しかし計画が報じられた2月下旬以降、市に対しメールや電話で「公費で宗教施設を作ることは政教分離の原則に反する」「伊勢神宮の近くに設置するべきではない」などの反対意見や、理解を示しながらも「外国人観光客には分かりにくい場所」「簡易的なスペースでは意味がない」といった指摘など計百件以上寄せられた。
    


>「公費で宗教施設を作ることは政教分離の原則に反する」  


ぷっ。



全ての人にやさしい、しセイというのはわからんでもないけれど・・・

最も、たイセつなものをないがしろにしてはいかんよね。

他宗教に理解のない、ちイセー奴と言われたくないのかもしれんけど、これを作らないからといって、はイセきしてるとは思わないでしょ。


ネットが炎上って、れイセいに議論しようね。
 


しかし、なんでイスラムなの?

キリスト教やユダヤ教やヒンズー教などが要求したらどうするつもりなのかな?

それに穏健で敬虔なイスラム教徒だけが利用するとは限らんでしょ。

原理主義者が多数参集したらどないしまんねん・・・


むしろ、伊勢神宮の周辺に他宗教の施設を造るのを避けるべきではないんすか?



あんたらの観光営業を第一義に考えるなよ。 あほ。



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映画 
伊勢神宮近く「イスラム礼拝スペース設置」撤回 市民から疑問の声、ネットでも炎上し断念・・・三重・伊勢市

 三重県伊勢市は、市内観光に訪れるムスリム(イスラム教徒)のために伊勢神宮内宮近くの宇治浦田観光案内所に礼拝スペースを設ける計画を撤回した。同市内の公共施設では初めての取り組みだったが、市民らから必要性を疑問視する声や批判などが多数寄せられ、ネット上でも“炎上”したため断念した。

 市は、平成30、31年度に実施する同案内所の改修に合わせて、多目的室にイスラム教の礼拝スペースを確保することを計画。他の観光地の例などを参考に設計する方針だった。

 しかし計画が報じられた2月下旬以降、市に対しメールや電話で「公費で宗教施設を作ることは政教分離の原則に反する」「伊勢神宮の近くに設置するべきではない」などの反対意見や、理解を示しながらも「外国人観光客には分かりにくい場所」「簡易的なスペースでは意味がない」といった指摘など計百件以上寄せられた。

 一方、インターネット上では、市がモスクを作ろうとしている、といった極端な表現も拡散したといい、伊勢神宮や観光協会などにも問い合わせがあったことから、市は「計画を進めることで、関係者に迷惑をかけてはいけない」と判断した。ただ、同案内所の改修計画には授乳室の設置なども含まれており、修正した上で進めるという。
posted by 金魚 at 21:42| Comment(4) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月02日

さらに一歩?

映画 安倍首相、いずも空母化「検討は当然」=ステルス機の運用可否調査

メモ  安倍晋三首相は2日の参院予算委員会で、海上自衛隊最大級の護衛艦「いずも」の空母化検討に関し、「(防衛能力の)拡張性についてさまざまな検討を行うことは当然だ。危機が生じてからでは泥縄式になってしまう」と強調した。小野寺五典防衛相は、短距離離陸・垂直着陸が可能な米軍の最新鋭ステルス戦闘機F35Bなどのいずもでの運用が可能かどうかを調査していることを認めた。共産党の小池晃書記局長への答弁。
 調査は2017年度事業として民間に委託。小野寺氏は「現有艦艇の最大限の潜在力を客観的に把握するために必要な基礎調査だ」と語った。また、F35Bのほかに米軍の無人小型偵察機RQ21とヘリコプター型無人偵察機MQ8も調査対象にしていると説明し、「これらの機体の導入を前提としているわけではない」とも語った。




うむ。


>「(防衛能力の)拡張性についてさまざまな検討を行うことは当然だ。危機が生じてからでは泥縄式になってしまう」


ごもっともなことで・・・



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いずもいずも、国のことを考えているんだっぺ。





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なまっちゃうのねw




過去関連記事

いずも型護衛艦の空母化を検討
平和主義の日本は空母大国となるか?



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映画 安倍首相、いずも空母化「検討は当然」=ステルス機の運用可否調査
 安倍晋三首相は2日の参院予算委員会で、海上自衛隊最大級の護衛艦「いずも」の空母化検討に関し、「(防衛能力の)拡張性についてさまざまな検討を行うことは当然だ。危機が生じてからでは泥縄式になってしまう」と強調した。小野寺五典防衛相は、短距離離陸・垂直着陸が可能な米軍の最新鋭ステルス戦闘機F35Bなどのいずもでの運用が可能かどうかを調査していることを認めた。共産党の小池晃書記局長への答弁。
 調査は2017年度事業として民間に委託。小野寺氏は「現有艦艇の最大限の潜在力を客観的に把握するために必要な基礎調査だ」と語った。また、F35Bのほかに米軍の無人小型偵察機RQ21とヘリコプター型無人偵察機MQ8も調査対象にしていると説明し、「これらの機体の導入を前提としているわけではない」とも語った。
posted by 金魚 at 22:20| Comment(4) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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