2017年06月13日

金魚のこころ  (12周年特別企画?w)

天皇制の根幹は何かと問えば、

 @ 万世一系の皇統
 A 天皇祭祀 
 B 公務(国事行為、公的行為)


 公務の大半は天皇・皇族でなければできないというものでもない。政治家に委ねれば済むものが多い。代理の者で行うことのできるものが多い。公務は大幅に削減すべきである。これをもって天皇の存在意義ということはできない。

天皇祭祀であるが、これを重視する人は相当数いる。


 飛鳥から奈良時代にかけて、天皇・皇族は仏教に帰依した。これをもって天皇は祭祀王の地位を降りた。それ以前にすでにシャーマンの役割を放擲しており、さらに政の主導権も手放しており、祭・政ともに他者に委ね、神輿となった。
 キリスト教に帰依するイスラム教指導者など存在しないであろうし、仏教に帰依したローマ法王の噂も聞かない。天皇の祭祀を重要視する方は、神道の最高位の存在が仏教に帰依するという事実をどうとらえるのか。


鎮護国家を委ね、病に臥せり加持祈禱を受け、退位後法皇と称した平安時代、そこに祭祀王の姿があるか。

 明治維新により王政復古し、神道が強化され天皇をその頂点に据えたが、その後天皇が国民の前に教義を説き、国家繁栄、国民の安寧を祈ったことがあったか。
神道はそういうものではないと言うなら、ではそのような祭祀にどれほどの意義があるのであろうか。

 幕府を倒し、王政復古を果たした首謀者たちは、藩主にその後を委ねることなく、そのまま指導者に居座り、政治を行った。その正当性を確保するために天皇の権威を高めようとしたに過ぎない。

飛鳥から明治までの歴史を観れば、天皇の存在意義は祭祀とはいえまい。




 天皇制の存在意義、すなわち国体は、【万世一系の皇統】、血統にある。

この根幹を忘れ去ったために、今日の混乱がある。



 国民の総意というものはまやかしである。民主主義と国体との整合性を考え、「国民主権であっても、国民の総意であるから天皇を奉じる」という辻褄合わせを行なった。敗戦後国体の護持を図る日本と天皇を失った場合の日本の混乱を恐れたアメリカとの苦心の作が象徴天皇であろう。


 古代から、民の全てが天皇を尊崇してきたということ自体が虚構である。庶民にとってお上が誰であろうと関係ない。ただ税や使役が過酷でなければいい。公家、武士、民がそれほど天皇・皇族を崇敬していたのなら、皇室が困窮したはずがない。それどころか皇位を奪い、幽閉し、追放し、殺害までしてきた歴史である。江戸時代に民が観たのは藩主であり、遠く離れた将軍ではない。ましてや天皇など。

 国民不在というより、国民が無関心であったというほうが近い。今も昔も国民は自分に利害が及ばないことには関心を持たない、持つ余裕がない。


 戦後国民が天皇に注目したのは、昭和天皇のカリスマ性であろう。その後次代は象徴天皇として公務を増やし、菊のカーテンを払った皇室は超一級芸能人と化した。

 民主主義の国民主権と天皇制は相いれない。立憲君主制は妥協の産物であろう。

主権が民にあり、その民が働き納めた税金で支える皇族に敬意を捧げるはずがない。

 もしそれが可能であれば、卓越した知性とカリスマ性がなければならない。

 そのためにはそもそもの潜在能力が必要かもしれないが、それよりも幼少から多額の教育費を投入して学力と身体能力を高めることが必須である。皇族としての対外的体裁を整える費用すら無駄な税金とみなす国民の存在する今日、実現は困難であろう。

就労ができず自ら収入を得る手段を持てないにもかかわらず、相続税を課すという仕組みは正しいのか。


 血統主義を選択するのであれば、世襲の長所と短所を受け入れねばなるまい。

 能力、資質を問うたり、国民投票を持ち出すのであれば、もはや世襲にこだわる必要はない。大統領制を選択し、真の共和制の道へ進むべきである。



遡れば神話に連なる系譜を持つ一族が御座す・・・・・それだけで十分。

 憲法から天皇条項を削除し、真に皇室を崇敬する一部の国民の浄財で一宗教法人として存続させ、国民の目に触れぬところで万世一系の皇統を紡いでいっていただければ神話は続く。

『おおかたの国民は無関心だが、悠久に皇統は続いていく』

という在り方が歴史に適う真の国体ではないか。




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posted by 金魚 at 00:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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